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神崎朗子 訳 大和書房 2014年3月30日 第一刷発行
本書の著者、カレン・フェランは、
「私がこの本を書いたのは、経営コンサルタントとして30年も働いてきて、
いい加減、芝居を続けるのに、うんざりしてしまったからだ。」と (21頁2行)
大変正直なコンサルさんの告白でしょうか。
統計的には正確でよくまとまった研究でも、
残念ながら経営理論の正しさを証明できるものはほとんどない。
多くの場合、経営理論は論文の査読や同分野の専門家同士による評価(ピアレビュー)や、
第三者による検証すら行われずに、従来の知識体系に組み込まれてしまう。
(経営学には、Nature のような土俵、チェック環境はないということか。)
理論の正しさを示す証拠があっても、ほとんどは個々の事例に当てはまるにすぎないし、
既存の研究の多くには企業の利害が絡んでくる。
(何百万ドルも投じた再建策にほとんどメリットがなかった、などと認めたがる企業がいったい何社あることか)(2頁8行)
時代の変化、環境の変化する中、限られた変数にのみ注目した仮説は、
限られた条件の中で成り立つ、仮説でしかなかったのか。
この20年で企業経営の手法は急激に増え、「効率化」や「スキルの標準化」、「パフォーマンスの最適化」
などの目標のもとに、企業のベストプラクティスとして定着した。
(下に、どこかで聞いたようなカタカナ用語がありませんか。)
「バランススコアカード」「業績給」「コア・コンピタンス開発」「プロセスリエンジニアリング」
「リーダーシップアセスメント」「マネジメントモデル」「競争戦略」「カスケード式業績評価」などは
企業経営の確立したモデルとなっているが、それらが能書きどおりの効果を発揮する証拠はほとんどない。(22頁8行)
振り返れば、その頃の日本は、これら輸入経営学が、日本のコンサルさんを通じて、人事制度改革を大きく揺さぶっていた。
日本の 「人事制度・賃金制度・各社の取り組み」 ( 1996年〜2004年 そして、2014年 )
ここでのコンサルさんの躓きは、日本に限らず、米国でも、人事考課の分野に限っていうならば、
評価値をどう決定するか、また、それをどう反映するか、
納得性をどう担保するか、この最後の詰めがなおざりにされてきたためではないだろうか。
カレン・フェランも、上の本の中に、コンサルの去った後、誰も見ない多量の資料のみ残ると書いているが、
それは、最後の詰め、具体化した方法論、手段を持たない故の結果でしょう。
日本でも、コンサル導入に奔走し、連休も出勤し、汗をかいた人事責任者が、新制度スタートで躓き、
コンサルさんに助けを求めたら、「長い目で見ましょう」という答で逃げられたとの話もありました。
また、コンサルさんの勧めもあり、年俸制を導入したクライアントさんは、スタートで、
納得させ得る年俸額算出の方法、ツールを与えられてない事に気づき、
土壇場で、「公平クン」を思い出し、答を出したというケースもありました。
カレン・フェランは反省をこめて、組織の中の人間を見ていなかったといっている。
理系高学歴の、会社経験のないままコンサルとなった人たちは、自身の頭の中で、
クライアントの組織、集団を、生の人間抜きで、経営学理論の仮想空間としてしまう。
コンサルする立場からは、限られた期間に、ある答を出すには、
そこにいる人々の持つ、多様な考え方には踏み込む余裕はないし、避けたい。
その結果が生み出した悲喜劇ではないでしょうか。
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